2013年6月28日金曜日
バイナリオプション
バイナリオプション知っていますか?
FXは聞いたことあるでしょうね。
バイナリオプションは投資の一種ですが、ギャンブルですね。
1か月で3万円ほど失いました。
今ブログの記事をかきながらも行っています。
ギャンブル一度はまると面白さからなかなか抜けられませんよ。
2013年6月26日水曜日
日本ではほとんど伝えられていない重大な発言を紹介しよう。
日本はバカにされていますね。
いつから日本はこんなにだらしなくなったのか。
「安倍首相はサミットから帰国すると「日本の経済政策は各国首脳から評価された」と自画自賛し、東京都議選を有利に戦った。この期に及んでも、7月の参院選までは国民に“株価急落は一時的。アベノミクスで日本は再生できる”と思い込ませようとしている。それで本当に景気がもち直すのであれば、大変結構な話である。
しかし、国民をいくら誤魔化せても、東京の株式市場を動かす世界の投資マネーが安倍首相の言葉を信じなければ、株価急落も国債相場の乱高下も止まるはずがない。事実、国際金融のプロの見方は、安倍首相の楽観思考とはまったく逆だ。
日本ではほとんど伝えられていない重大な発言を紹介しよう。
さる6月5日、スイスに本拠を置く世界的な投資銀行、UBS銀行のグローバル最高投資責任者アレックス・フリードマン氏は、米国3大ネットワークNBC系列のニュース専門チャンネル(CNBC)に出演し、アベノミクスが日本経済に悲劇的な結末をもたらす危険性をこう警告した。
「資産インフレに経済成長が伴わないスタグフレーションが起きる可能性がある。私たちはハルマゲドンならぬ、“アベマゲドン(ABEGEDDON)”を目の当たりにするだろう。
そのシナリオでは、投資家が日本の国債をさらに売り払うドミノ倒しが起きる。日本の債務水準が今後も維持できるかどうかに懸念が生じているためだ。日本の借金はGDP比で300%まで上昇し、長期金利は5%に近づくだろう。そうなると金融システムには深刻な打撃が加わり、地方銀行の自己資本が大きく毀損されてしまう」
そのように「国債暴落」による金利急上昇を予測した上で、「最悪の場合、今後数か月の間に日本経済がクラッシュするかもしれない」と指摘したのである。
国民にとって恐ろしいのは、予測の内容もさることながら、UBSという巨額資金を運用する投資銀行の最高投資責任者が「日本売り」を勧めていることだ。
世界の投機マネーは、相手が弱いと見るや容赦なく売りを浴びせて自分たちの利益を稼ぐ。かつての韓国や東南アジアの通貨危機、最近では欧州の金融危機がそうして深まったことは公然の事実だ。フリードマン氏の言葉は、今や日本がそのターゲットにされていることを示している。
2013年6月25日火曜日
ヒッピー
皆さんご存知ですか、ヒッピー
思想があるよ、今の時代の若者には無いように思えます。
「ラブ&ピース」。このヒッピー・ムーブメントをシンボライズする言葉は、
時代を越えてカウンター・カルチャーのアイデンティティとして、生き続けている。
言葉から発せられるビジョンは、21世紀の現在にこそ必要なファクターであり、
人間らしく生きるための道しるべだろう。
ヒッピーとは、辞書によれば「60年代のアメリカで、既成の社会体制や価値観を否定し、
脱社会的行動をとった若者たち」ということになる。どうもネガティブだなあ。
しかし、オレなりの解釈を言えば「自由を愛し、自分を信じ自分の生き方を肯定する。
そして地球を愛する人間たち」。だからこそ、インディアンやエスニックテイストを
取り入れたファッションとしてのスタイルに限らず、たとえ長髪でなくとも、新しい
生き方を模索しているという意味において、今は誰もがヒッピー的な資質を持ってい
るのではないだろうか。ヒッピーの精神こそ実にポジティブなんだよ。
脱社会ではなく、自分発見の旅のようなものなんだからさ。
ヒッピー・ムーブメントは60年代のサンフランシスコで発生した。アメリカにおけ
る60年代はジョン・F・ケネディ大統領の登場ではじまった。
43歳という若さでの大統領就任は、「若い時代」の到来を意味し、時代の流れや時代
の気分が確実に変わった。親の世代から自立し、独自の価値を主張する。そして「若
い世代」は等身大のカウンター・カルチャーを造り出していった。
その大きなひとつがヒッピー・ムーブメントだった。ヒッピーの種はアメリカ西海岸
から世界中に飛び、世界かしこで芽を出し、大きな木へと成長していった。たとえば、
ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。
ベルボトムのジーンズや長髪、Vマークのピースサインもそう。
ヒッピーはあの時代の世界を席巻した。
ヒッピーは平和と愛の象徴として花で身を飾ったことから、フラワー・チルドレン
とも呼ばれた。サンフランシスコのヘイト・アシュベリーを震源地とした「若者たち
の若者による若者のためのルネッサンス」ヒッピーには、コアに新しい音楽があった。
アコースティックからエレクトリックへの変化。既成のシステムやルールに縛られ
ることなく、さまざまな音楽的な実験をライブパフォーマンスにおいてチャレンジし
ていった。長時間にわたるインプロビゼーション。
アメリカのルーツミュージックからインドまで多様な音楽の要素を巧みに取り入れた
フリーフォームなサウンド。そして、きらびやかなライトショー。ロックの可能性を
拡大する冒険がフィルモアやアバロン・ボールルームといったライブハウスで行われ
ていた。
グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインなどがその代表的なバンドで、
オーディエンスを未知なる世界へと導いてくれた。
そんな音楽に引き寄せられるかのように、自由を求め、ミュージシャンやアーティ
ストに限らず多くの若者がこの地を目指した。デビューしたばかりのジャニス・ジョ
プリンも、ジミ・ヘンドリックスもそんな若者のひとりだった。60年代なかばのサン
フランシスコはまさに、自由の中心地として存在していた。
67年。この年はサマー・オブ・ラブと呼ばれ、ヒッピー・ムーブメントがピーク
に達した年として刻まれている。
1月にはヒッピーの祝祭と言われる「ヒューマン・ビー・イン」がゴールデン・ゲー
ト・パークで開催された。
グレイトフル・デッドなどベイエリアのバンドが集結。他にも「30歳以上を信じる
な」というキーワードを掲げた反体制運動の指導者、ジェリー・ルービンやドラッ
グ・カルチャーの教祖的存在だったティモシー・リアリーら60年代のカルトヒーロ
ーもステージからアジテーションを投げかけた。6月にはサンフランシスコ近郊で
「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバル」が行われ、デッド
やエアプレインの他、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンをスターダム
へと押し上げることになる。
しかし、サマー・オブ・ラブを境にヘイト・アシュベリーでのヒッピー・ムーブ
メントは終息へと向かっていく。一気に盛り上がった火は消えるのも急だ。パラダ
イスだった街は人であふれ、マスコミがそれをおもしろおかしく書き立て、フラワー
・チルドレンの一部は街を離れコミューンへと移住していく。
そして69年夏、ニューヨーク郊外のベゼルという小さな村で、あの「ウッドストッ
ク・ミュージック&アート・フェスティバル」が開催された。
愛と平和の祭典としてのこのビッグ・フェスティバル、ここに集まった人数は40万人
とも50万人とも言われている。
予想を遥かに越えたオーディエンスが集まったため、会場では食糧、医療設備、トイ
レなどが不足し、二日目には雨にたたられるなど悪条件が重なった。参加した人々は
少ない食糧を分かち合いながら、三日間のフェスティバルは無事終了したという。
しかし、ウッドストックは輝くような60年代の終焉をも意味していたのかもしれない。
70年には、ジミとジャニスが不幸な死を迎えた。
オレはユースクエイクと言われた60年代を同時代として体験していない。だから一
種の憧れを持って、その音楽や気分に接していた。
一方で70年代のパンクや多極化した80年代を通り過ごして、ヒッピーやカウンター・
カルチャー自体がすでに過去のものではないか、という思いも頭のどこかに残っていた。
その心の迷いを払拭してくれたのが、グレイトフル・デッドのライブショーだった。
ジェリー・ガルシアのイマジネーションあふれるギター。そして重層的なサウンド。
会場にいるすべてをのみこみ、唯一無二である同じ時間を有する幸福を味わわせてく
れる。
この瞬間に生きている自分が、ここにいる。そんな感覚をダイナミックに体感でき
た至福な時間だった。
残念ながら、グレイトフル・デッドはジェリー・ガルシアの死によって、95年に
30年にも及ぶ長い旅を終えたけれども、彼らが刻んだカウンター・カルチャーは、
途絶えることはなかった。
ジャムバンド・シーンから飛び出してくる幾多のバンドはアフター・デッド、つま
りカウンター・カルチャーの現在進行形を感じさせてくれる。
野外で行われるテクノ・パーティーでも同じような感覚が味わえる。
今を生きるダイナミズムがみんなにとって必要なんだよ、きっと。
ティモシー・リアリーが唱えた「チューン・イン、ターン・オン、ドロップ・アウ
ト(時代の先端をいく、陶酔する、そして自分の本質へと向かう)」という言葉は、
今の時代にこそふさわしい。 60年代なかばから2000年にかけてのユース・カルチャー
を、エイジ・オブ・アクエリアスと呼ぶ人もいるけれど、水の惑星(地球)の子供とし
て何が大切なのかを、ヒッピー・ムーブメントは示唆していたんだろう。
そう、オレ達の合い言葉はいつまでも「ラブ&ピース!」。
2013年6月24日月曜日
クレーム処理も
なんとか納まったようです。
どのようなクレームかって?
設計をしている関係上の問題です。
客が設備の仕様を明確にしてなかったことと
ともにこちら曖昧にしつつ、ま・・・いいかという風に進んで
いた。
受注しなければいいな・・と思っていたが受注してしまった。
何ということか。悪い予感が当たった。
そういえば
月がいつもとは違って見えたよ。
大きくはっきりと見えた。
2013年6月23日日曜日
揉め事
私は分譲のマンションに住んでいますが
マンションというのは管理組合というものを
皆それぞれ組織しマンションの管理を行っています。
最近マンション管理において揉め事が発生しています。
発端はベランダに布団を干すな・・・
などから始まったようです。
今の管理組合の理事長というのが最悪で
個人名をあげ批判の文章を各戸へ配布しています。
この管理組合理事長がつるし上げになってきている
状況です。
・・・・
2013年6月20日木曜日
今日は汗かいたな
仕事して汗をかいたのだ。
環境が暑いということ・
さて今日は何か面白い記事はあるだろうか。
英国・北アイルランドで開催されている主要8カ国(G8)首脳会議の前、ポーランドを訪れていた安倍首相。原発売り込みと同時にやっていたのが、日本の食文化の紹介だ。
15日夜には地元の財界人ら要人200人を集めて、レセプションを開催。昭恵夫人らと一緒に、寿司や天ぷらを振る舞っていた。
もちろん、日本食や農産物の“うまさ”をアピールするのは大いに結構。しかし、そのために日本から一流の料理人を同行し、大量の高級食材を政府専用機で運んだとなると、話は別だ。しかも、料理人同行の“大名行列”は4月の訪ロに続いて2度目なのだ。当然、巨額の税金を使っているわけで、だったら、もっとPR効果が見込める方法があるだろう。企画のコンペでもすれば、代理店がワンサカだろうし、そもそも、これが総理大臣の仕事なのか。これが疑問だ。
安倍はレセプションの様子をさっそく、フェイスブックにアップしていた。夫人も晩餐会などの写真をしょっちゅうアップしていて、「セレブ気取りか」とささやかれている。
2013年6月19日水曜日
フリーエネルギーは開発されていた
もっともニコラ・テスラの「フリーエネルギー発電」に近い、既存の科学技術のことをメモしておこう。その名も「キャパシタ電気自動車」。今日偶然にインターネット内で見つけたものだが、結構前の記事である。ちなみに、「キャパシタ」とは、日本では「コンデンサー」ともいうが、同じものである。
実は、世紀の天才ニコラ・テスラが、本当にやりたかったこと、やろうとしていたこととは、これである。この宇宙から直接にキャパシタに充電することである。
上のキャパシタ自動車の場合は、それを外部からインバータで充電する。
パソコンにおいて、ハードディスクメモリよりフラッシュメモリが、大容量かつ高速で動くことはよく知られている。その理由は、このキャパシタメモリだからである。まあ、半導体技術を学んだことがない人にはまったくわからないだろうがナ。
「キャパシタ充電」というのは、まさに”巨大な”フラッシュメモリのようなものである。コンデンサー=キャパシタをLCR回路を用いてあっという間に充電する。つまり、電荷を帯びさせる。すなわち、チャージするのである。一旦チャージしたら、それをちょぼちょぼとモーターに回してモーターを回転させる。すると、まるで電解液を使った従来の電池(といっても、ファラデーよりずっと前のボルタが発明した電解質電池)よりずっと高速に充電でき、ずっと効率よくモーターを回転できるということになる。
実は、日本でこれにもっとも近いことを行なっているのが、井出治氏やその関連技術を研究している人たちなのである。
アメリカでは、ユタ州ソルトレークにヘンリー・モーレイという発明家がいて、すでにキャパシタ発電機(充電器)を発明し実用化していた。以下のものである
ドラード博士は、それを「フリーエネルギーヒューズボックス」と呼んでいた。つまり、「自由エネルギーを得るためのヒューズ箱」という意味である。どうやらすべてはこのヒューズにあるようである。
このヒューズ
は第二次世界大戦中に米軍が開発したもので、RCAでそれを使っていた時の最後の残りだという。しかし、その時の研究室は破壊されたためにこれ一個しかないという。
このヒューズは別名「振動子」だという。12ボルトと24ボルトの2つの電源の間でヒューズが振動して切れたり点いたりする間に2つのバッテリーがお互いにリチャージしあい、結局ずっと使えるのだというのである。
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